猿の惑星:新世紀(ライジング)

「猿の惑星:新世紀」の評判がいいことを聞いてはいたのだが、リブート前の旧シリーズも見ていないし、ましてや前作「創世記」すら観ていない。

だが、あまりにすばらしいという話に耐えきれず、前作も観ていないのに、平日の夜にいきなり劇場に足を運ぶことにした。

結果としては、なぜこんな傑作、いや大傑作を、もっと早く観なかったのか、後悔しきりである。

 猿インフルエンザは急激に世界中に広がった。史上最大のパンデミックによって、あっという間に人類は絶滅に瀕していた。

一方、遺伝子治療によって急激に知能を進化させた猿たちは、シーザー(アンディ・サーキス)に率いられ、森の中でコミュニティを構築していた。

猿たちが暮らす森の中にあるダムを手に入れるため、マルコム(ジェイソン・クラーク)は猿たちと接触を図る。しかし、互いに違いを恐れ、憎み合う人類と猿の接触は、最悪の事態へと繋がっていく……。

有名すぎてもはやパロディの対象にすらなっている旧作のラストシーンで知られる通り、「猿の惑星」シリーズといえば、衝撃的な展開が売り。

本作はその期待を覆してあまりある、凄まじいサスペンスが描き出されている。

キーワードになるのは、猿たちの合い言葉。「猿は猿を殺さない」である。

猿たちの普遍的なルールとして掲げられたこの言葉は、彼らの平和の根幹を成すものだ。

人間からみれば、原始的な武器を使い、暴力的で肉体に頼った生活をしている猿たちは、しかし「人間とちがって、猿は猿を殺さない」ことを誇りにしている。

しかし、人間との接触が猿たちに大きな波紋を生み出す。

冒頭、シーザーが「人間は滅んだのだろうか?」と寂しげに語るシーンだけでシーザーと人間の関係性が示唆されており、前作に触れていない自分でも、猿と人間の間で揺れ動くシーザーの感情はさっするにあまりあるほどだ。

驚かされるのは、CGによって作られた猿たちのあまりの実在感である。

本当にそこに猿が映っているように思えるだけではない。瞳には知性が宿り、顔には感情、肉体には筋肉の躍動が感じられる。

猿どうしのコミュニケーションも、原始的でありながらも、だからこその根源的な「家族」のあり方をまざまざと見せ付けてくれる。

常に胸を張って歩くシーザー。どこか不安げで臆病なブルーアイズ(ニック・サーストン)。母たるコーネリア(ジュディ・グリア)。その個性は、別の生物だというのに、今映っているのが誰なのか、間違えることはないほど。

中でも、圧巻はトビー・ケベル演じるコバ。実験動物としての記憶を抱えた「もう一頭のシーザー」は、恐ろしいほどの悪を演じている。

誰もが目を背けたくなるような暴力的で、狡猾で、そしてどこか情けない悪は、その根源が人間による実験であることを踏まえれば、思わず目を覆いたくなる。

最終局面、シーザーとコバが、文字どおり「足下が揺らぐ」状況でどのような行動を取るかということに、鏡映しになった二頭の関係がはっきりと描かれている。仲間を助けようとするシーザー。死にゆく仲間から銃を奪って戦いを続けようとするコバ。

「コバはオリの中にいる」と告げたシーザーの言葉どおり、彼の目には最後まで恐怖が宿っていた。また、猿たちのタワーを爆破したドレイファス(ゲイリー・オールドマン)との共通性も素晴らしい。

どちらも仲間たちのためを思い、そしてどこかで捨て鉢になった末の決断である。それを最後に持ってきて、二種族の決別の決定打としたのだから、見事と言うほかない。

自分のアイデンティティが崩壊したとき。あの結末を引き起こしたのは、「もうどうなっても構わない」という思いと、「自分は仲間のために戦った」と信じたい考えにちがいない。

真に練り上げられた脚本というのは、こういうものをこそ指すのだろう。

登場人物の誰もが、人間も猿も観客の感情移入を誘う。

シーザーと共に猿を誇り、マルコム同様に和解を求め、しかし一方でコバと共に人間を憎み、ブルーアイのように他者を恐れる。

どの人物の気持ちも理解できるのに、でもけっして認めたくない滅びへの道を突きすすむ物語を止められない。

観客は、この結末から決して目を離すことができない。なぜなら、それは観客自身の物語だからだ。

コバの非道な行いや卓越した奸智に嫌悪感を抱かずにはいられない。しかし同じぐらい、彼が心の底に抱えた恐怖を感じずにはいられないのだ。

筆者は誰かが殴られる時、体がびくっと緊張するのが分かった。

振り上げられた拳の恐ろしいこと。向けられる銃口の恐ろしいこと。人間と猿が互いに向ける視線は、自分が見据えられているのだと感じずにはいられない。

ただ自分が殴られたような気がするだけではない。自分が他者を殴ったような感覚も同時に襲ってくる。自分が自分を殴りつけているような、そんな感覚が2時間たっぷりと続くのである。

普通ならとても耐えられそうにないが、しかし今作が描く物語の結末を見届けないわけにはいかない。

そんな使命感に打ちのめされ、クライマックスまで見つめ続けることになるのだ。

次の展開がどうなるのかを観客に夢中にさせる手法を「クリフハンガー」とも言うが、本作では「宙ぶらりん」どころではない。

宙づりにしているロープがどう見ても切れかかっていて、いつ落下してもおかしくない。いやいっそ、今すぐ切れ終わりにしてくれたほうが楽になれる……と、そんなことさえ感じてしまうほどだ。

この映画が描き出しているのは、まさに人類の歴史そのものだ。

「猿は猿を殺さない」という思いは、むろん人間も同じだ。だが、人間の歴史は戦争に彩られている。

なぜ、どのようにして戦争が起こるのか。なぜ誰もそれを止められなかったのか。

恐怖、不寛容、無理解、怒り、憎しみ……。

そうしたものが圧倒的な不協和音を奏でて目の前に突き出される。残酷だが、これほど真に迫った描き方をされては、喝采を送るほかない。

コバとシーザーが対決する最終局面は、まさに猿たちにとっては創世の神話、いや歴史の第一歩と呼ぶに相応しい。

おそらく、遠い未来では猿たちはこの戦いを誇りあるものとして語り継ぎ、また猿の歴史の悲しい出発点として悔やみ続けることになるだろう。

地理的には決してスケールが大きいとは言えないこの物語がそれほどの普遍性を持っているのは、猿たちの決断が、誰にとっても無関係ではいられないものだからだ。シーザーの言葉どおり、「猿も人間も同じ」なのである。

この映画で描かれる物語は、世界は、決して観客と無関係のものではない。誰もが目を背けたくなる結末にこそ、人間の歴史の中で何度も繰り返されてきた真実が隠れているといえるのだ。



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