フォックスキャッチャー

他人が罪を犯した時、その理由の全てを理解することは、決してできない。

どんなに綿密に調査をしても、それは同じだ。本作は実際に起きた事件を下敷きにしているが、なぜその行動をしたのかを、完全に解明しようとはしていない。

その代わり、シーンの全てからにじむ不穏さや、役者の所作のひとつひとつが、その結末に向けて時に加速し,時に停滞しながら進んでいく。

あなたがまだこの映画をまだ観ていないなら、事件のことを調べる前に本作をみて欲しい。史実者としては異端だが、ネタバレ厳禁だ。


レスリングでオリンピック金メダリストになったマーク・シュルツ(チャニング・テイタム)は、しかし稼ぎの少ない、鬱屈した日々を送っていた。

そんなマークのもとに、大富豪ジョン・デュポン(スティーブ・カレル)から連絡が入る。デュポン自らがコーチとして作るレスリングチーム、「フォックスキャッチャー」に迎えたいというのだ。

最新のトレーニング設備、広い敷地、さらにはマークのための住居まで提供するという提案に、マークは飛びついた。そして兄であるデイヴ(マーク・ラファロ)にも誘いをかけるが、デイヴは家族のためと提案を退ける。

ソウル五輪に向けてフォックスキャッチャーでの練習にはげむマーク。はじめこそデュポンと意気投合していたが、徐々にふたりはすれ違っていく……。


映画は主演のふたり、チャニング・テイタムとマーク・ラファロのスパーリングからはじまる。

この長いスパーリングは地味ながら、レスリングのなんたるかを観客に訴えかけてくる。肉体と肉体のぶつかり合い。体格差は歴然とあり、しかし技術によって勝つこともできる。やり合っている内に加熱し、闘志がますます高まっていく。

そして何より、どうしようもなく地味なのだ。

80年代、レスリングはオリンピック競技の花形でありながら、しかし競技者が報酬を得る手段は非常に少なかった。レスリングで金を稼ぐには、ショービジネスとして、つまりプロレスをやるしかない。しかし、プロレスは下等なものとされていた。一度プロレスに「身を落とした」レスラーは、競技の世界に戻ることはできなかったのだ。

だから、ふたりは金メダリストなのにお金がない。また、お金がないからますます金メダルに執着する、という背景がある。これらを踏まえれば、ラストカットでのマークの姿もまた違った見え方があるように思う。


「フォックスキャッチャー」はデュポン財閥が所持する農場の名だ。デュポンはアメリカに実在する化学会社であり、たとえばフライパンの加工などに使われるテフロンはデュポンの登録商標だ。

これらから分かる通り、本作で扱うのは実在の人物、事件である。1996年、財閥の御曹司が金メダリストを射殺するというスキャンダラスな事件があった。その事件はなぜ、どのように起きたのか。それをサスペンスフルに描いている。


本作を鑑賞すれば、誰もが驚くのは主演の3人の役作り。役者の名前で検索すればすぐに分かるとおり、彼らには見た目の印象が変わるほどの特殊メイクが施されている。

スティーブ・カレルには特徴的なワシ鼻がつけられ、より威圧的に。テイタムはあごが突き出たより荒々しく。ラファロは頭髪とヒゲが特徴付けられている。

これらのメイクはもちろん、実在の人物であるデュポンとシュルツ兄弟に外見を似せるためという目的もあるだろうが、画面の中でそれぞれのキャラクターをよりはっきりと特徴づける効果も与えている。


肉体もキャラクターをしっかりと作り上げている。ハリのある肉体のテイタム、全盛期を過ぎた中年期のレスラーの体型を作って見せたラファロ。カレルの「生身」感は、作品のテーマに如実に関わるものだ。

そして、体を使っての演技も見事だ。彼らはすでに立ち姿からしてどこか異様な雰囲気を漂わせている。歩き方もいくらか奇妙で、カレルなどは座っただけでも過剰に首を反らし、相手を見下ろしている。

そんなオーバーアクトととも言える演技も、この映画の中では浮いて見えるどころか、異様な世界の中に入り込んだような緊張感を強調する見事な効果を見せている。

メイクによって別人になり、役者が命を吹き込む。実在の人物であるからこそ、「人を演じる」ことのすごみをはっきりと感じられるのだ。


画面づくりは重々しく、スリリングだ。淡々としたようでいながら、随所に観客の目を引くものを配置し、しかし「何か起きるのではないか」という期待を、見事に裏切って先へ進んでいく。

一見して何も起きていないようなシーンで複雑な感情が渦巻き、時にカット全体が大きく歪む。いつ何が起き、いつまで何も起きないのか、目が離せないカットが続く。「何かが起きる」ことと、「何も起きていない」ことの両方が、絶妙なバランスでリズムを作っているのだ。

特に感心したのは、デュポンの指示で撮影されているドキュメンタリー映像を撮影するシーン。ラファロの実感のこもった演技を堪能できるのはもちろん、デュポンがどんな思惑で「フォックスキャッチャー」に向き合っていたのかがあふれ出て、一見すると静かなシーンだが破滅の足音が高鳴る、本作の白眉ともいえるシーンだ。


人が人を演じるということについて真摯に向き合う姿は、それだけで感動的だ。

実際にあった事件の、当事者以外には決してしることのできない内面を、映画として、物語として表現するということは、こんなにも衝撃的で、しかもどこか罪悪感すら感じてしまう。

本当のデュポンはこれほど強力なコンプレックスを持っていなかったのかもしれない。シュルツ兄弟はこれほどデフォルメされた兄弟関係でなかったかもしれない。

だがそれでも、人が人を理解する、あるいは理解した気になることは、こうした罪深さと共にあるのかも知れない。

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