インサイド・ヘッド

 今や世界一のアニメスタジオと呼んで一向に差し支えないだろうピクサーの最新作は、なんと「人間の脳」を舞台にしたコメディアドベンチャー。^
 ひとりの人間の内面を擬人化して描いてみせる作品は数あれど、これほど科学的な考証に基づき、しかも高水準のエンターテイメントとして昇華している作品は例がない。^
 高水準のアニメ表現を「当然のもの」として、その先で「何を描くか」という領域にまでたどり着いた本作は、子供から大人まで、誰が見ても楽しめる超一級の傑作だ。^


 ミネソタで育った少女・ライリー(声:ケイトリン・ディアス/伊集院茉衣)は、家庭の都合でサンフランシスコへ引っ越してきた。^
 今までの友達から離れ、新しい学校へ転校する彼女の頭の中にある司令部では、ライリーの感情のひとつ、ヨロコビ(声:エイミー・ポーラー/竹内結子)が彼女を幸せにしようと奮闘していた。^
 しかし、転校初日のあいさつのとき、ライリーの「大切な思い出」にカナシミ(声:フィリス・スミス/大竹しのぶ)が触れてしまう。思い出がカナシミに染まる前に阻止しようとしたヨロコビは、誤ってカナシミとともに司令部から放り出されてしまった。^
 大切な思い出たちを司令部に戻さなければ、ライリーの人格が壊れてしまう。ヨロコビとカナシミは急いで司令部に戻ろうと、ライリーの頭の中を駆け回ることになる。^


上映前に流れる「いとしのライリー」のクリップ映像については、あまり言及したくはないが、子供向けの映画の上映時間を延ばすのはいかがなものか、とだけ言っておく。

 恐ろしく完成度が高い本作は、その物語が人間が自らの人格を作り上げていく過程と重なっている。^
 人間は日々思い出を集め、睡眠と同時に整理し、いらない記憶は捨て去って、残りを思い出として保管する。その中から特に大切な思い出が選ばれ、やがてそれはその人の人格として根付いていく……こうした一連のプロセスは、脳科学に基づく描写だ。これをそのまま描けば複雑な電気信号や高度な専門用語が多数必要になることは間違いない。^
 だが本作では、それらの家庭をヨロコビたち擬人化されたキャラクターに演じさせ、子供にとってはわかりやすく、大人にとっては自分を顧みてなるほどと思えるほどの精度で解説されている。^
 映画を観て楽しめるだけでなく、勉強にもなるのだから、知的な好奇心も満たしてくれるまさにファミリー向けのテーマと言える。^


 では難しい脳科学が展開されるお勉強アニメなのかといえば、そうではない。^
 本筋となるライリーの物語は、誰もが一度は経験したことがあるだろう。新しい環境にうまく馴染むことができるかという葛藤が置かれている。^
 そのままなら30分アニメの1エピソード程度がちょうどいいぐらいのボリュームだ。それなら、困っている彼女に家族や新しい友人たちが手を貸してくれて、新しい学校に慣れることができた、というぐらいで終わりだろう。しかし、現実では誰かが助けてくれるとは限らない。時には、自分だけの力で乗り越えなければならない時がある。^
 そうなった時、誰も力を貸してくれないのか……といえば、そうではない。本当の協力者は、その人の頭の中にいるのだ。それが、ヨロコビたち感情である。^


 ヨロコビはたった一つの目的を持っている。それはライリーがずっと幸せであり続けること。それができるのは、彼女に喜びの感情を与えられる自分だけだと信じている。^
 だから、はじめヨロコビはカナシミに対して嫌悪ともいえる扱いをする。カナシミが触れてしまった思い出は、ライリーにとってつらく苦しいものになってしまうからだ。^
 そしてこの点こそが、30分アニメではなく長編アニメ映画として語られるべきテーマにつながっている。^
 だれもが持っていながら、誰もがそれによって苦しんでいる「悲しみ」。なぜそんなものが脳の中にいて、人々につらい思いをさせ続けているのか。ヨロコビとカナシミが二人きりで行う冒険の先には、その答えが待っている。^


 物語の中盤は、ヨロコビとカナシミが脳の中を巡る旅が描かれる。^
 思い出の保管場所、想像力、夢、深層心理……そんな精神の内面を、イマジネーションあふれる映像として描き出して見せる。^
 次々に風景が変わり、飽きさせない構成も見事。大人に対しては、切れ味鋭い小ネタの数々がひっきりなしに飛び出してくる。^

記憶を抽象概念にしていく場所の、3D表現を逆手に取った強引な演出、何度も名前を出される「犬が死ぬ映画」(おそらく、ピクサーともかかわりの深いティム・バートンの「フランケン・ウィニー」)、「事実と意見がごっちゃになっちゃった!」など。ライリーやヨロコビにとっては必至そのものなのだが、くすくす笑いが絶えない珍道中である。


 ここままでは非常にミニマムで個人的なお話でしかない。ライリーという個人の中だけの話だ。^
 そう思いかけたところで、ライリー以外の人間の感情たちも見せられるのがまた巧みだ。同じようなことが誰の頭の中でも起きているのだと象徴される。^

さらには、それぞれの頭の中で主導的な立場になっている感情が違っているのもまたうまい。ライリーはヨロコビが主導権を握っているが、母親はカナシミ、父親はイカリと、その人の性格が微妙に違っていることが示されている。ちなみに家族が食卓を囲むシーンでは大人に対しての痛烈なギャグが挟み込まれる。筆者もよく人の話を聞き流しながら映画のことを思い出しているので、これには思わずはにかんでしまった。

 そしてまた、ライリーの頭の中にすら「他者」を配置する。これはライリーのこの年頃だからこそ描くことができるキャラクターで、物語の、そして彼女の人生にとって大きな意味のある転換点で大きな役割を果たすことになる。^

言うまでもなく、ライリーが小さなころの友達・ビンボン(声:リチャード・キング/佐藤二朗)である。アメリカの幼児には、こうしたイマジナリーフレンドを生み出すことが多いらしい。たとえば、そのイマジナリーフレンドに語りかけて日記をつけるような子も多いのだとか。


 現実と同じく、ヨロコビは強いモチベーションをもって物語全体を引っ張っていく。だが徐々に、それがいびつでアンバランスであったことが明らかになる。^
 彼女が押さえつけていたカナシミこそ、ライリーを救うために必要なものだったのだ。^
 悲しいときにその悲しみを封じ込めることが正しいのか。あるいは、自分が悲しい思い出を持っているからこそ、他者の悲しみを理解することができるのではないか……。^
 脳科学や心理学を背景に、豪華絢爛なアニメーションによって描かれる本作の帰着は、そんな、素朴で普遍的なテーマである。^
 楽しくも悲しい、でも両方があるからこそもっと幸せになれる。それはまさに、本作全体が様々な感情に彩られ、見事な配色を描き出していることにぴったり重なる。^
 はじめに、ライリーが体験するのは誰もが共感できる出来事だと書いた。しかしその解決はライリーだからこそできるものとして描かれている。同様に、すべての人の身に降りかかる困難は、その人自身の人生によって立ち向かうしかない。個人的でありながら普遍的という、相反する二つの要素を見事に乗りこなしている。^

そしてエンドクレジットでは、一気に世界が広がっていく。さまざまな人の感情を並列して見せることで、「これはあなたの物語でもあるのですよ」と伝えているわけだ。最後の最後まで緻密な楽しさで彩られている。

 ピクサー、そしてアニメーションを新しい次元に到達させた快作。できれば、ライリーの思春期を描く続編を期待したい。^


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