ヴィジット

芸術の役割とは、いかなるものか。

感情を揺り動かすのが芸術だと考えることもできるし、新しい価値観を提示するのが優れた作品であるという考えもあるだろう。

いずれにしろ、恐怖や不安、焦燥や絶望など、普通に生きていてはそうそう味わうことができない強烈な感情を呼び起こすスリラーは間違いなく芸術作品だ。

本作は「シックス・センス」などで知られるシャマラン監督が、原点回帰をうたって低予算の自主製作を行った作品。

観客をどのように怖がらせるか、映画製作者が何十年も繰り返してきた挑戦の最新成果ともいえる、純度の高いスリルを味わうことができる。


15歳のベッカ(オリビア・デヨング)と13歳のタイラー(エド・オクセンボールド)の姉弟は、休暇の間の一週間、祖父母(ディアナ・デュナガン、ピーター・マクロビー)の家を訪れることになった。

動画投稿を趣味にしているベッカは、その訪問をカメラで記録し、ドキュメンタリー映像に編集するつもりだ。

母親が家でして以来、一度も会ったことのない祖父母に温かく迎えられるふたり。だが、彼らは家で過ごす間、姉弟に三つの約束をさせる。「楽しい時間を過ごすこと」「遠慮せずに食べること」「夜9時半以降は部屋から出ないこと」

初日の夜、9時半を過ぎた家の中には不気味な物音が響き始める。姉弟は恐怖を覚えながらも、約束を破って部屋の扉を開けてしまう……。


本作は全編がPOV(Point of view)形式で撮影されている。

近年のホラー映画の復権に大きな役割を果たしているのがこのPOVだ。劇中の登場人物が回しているカメラの映像をそのまま映画にしている、というテイで編集することを指す。

ハンディカメラで撮っているという設定だから、ショットの構図はおのずと限られる一方で、あまり画質や音質にこだわらないほうが「らしく」見えるという利点もある。

そして、「恐ろしいものが映って“しまった”」という演出や、フェイク・ドキュメンタリーに「実際に起きたことである」という説得力を与えるためにも有効な手段であり、ホラー映画と非常に相性がいい。

本作でも、姉のベッカがある目的のために滞在を撮影している映像をそのまま使っているというテイだ。編集ソフトの進化のおかげで、15歳が動画編集をしても不自然ではない時代になっているからこその設定だ。


低予算映画では、いかに限られたロケーションとキャストで起伏ある展開を描くことができるかというのが重要だ。

本作では、物語のほとんどは田舎にあるひとつの邸宅と、その周辺のみ。その中で90分間、さまざまな感情を観客に与えてくれる。

視点が非常に限られていることが、「夜の9時半以降は部屋から出てはいけない」というルールを与えられた姉弟の視点にぴったり一致して、観客も「何が起きているのかを見てみたい」という気持ちを共有することができる。その後のスリラー展開にも、より深い感情移入がされていくわけだ。

夜の家の中の光景は、アメリカ風のスリラーというよりは、むしろJホラー、日本風の「見てはいけないものを見てしまった」という、ぞっとする恐怖感に近い。監督は相当にホラー描写を研究したに違いない。

一日目や二日目に描かれる祖母の奇妙な行動は、非常にショッキング。驚きと生理的な嫌悪感、理解不能な恐怖が混ざり合って、言葉にしがたい印象を受ける。一方で、一見冷静な祖父は「力では敵わない」という肉体的な、別種の恐怖を与えてくる。それがじわじわと少しずつ与えられるのが、「いつどんなことが起きるか分からない」という、不安の底へ観客を連れて行く。


どんな方法で観客を怖がらせていくかは、本作の醍醐味ゆえにネタバレ部分で書くことにするが、そのステップの踏み方が非常にテンポが良い。

本作は月曜日から土曜日まで、リズミカルに昼と夜が交互に描かれていく。前述した通り、「夜9時半以降」が描かれる夜のパートのスリルは素晴らしいが、一方で昼の世界の揺さぶるような描写も非常に効果的だ。

夜の間に目撃した異常な事態にも、昼のパートで一応の説明が加えられる。しかし、「それにしてもちょっと……」というぬぐいきれない違和感が積み重ねられていく。この「それにしても」というのは、文字で書いてもなかなか表現できないだろう。映像で見せられなければその感覚にはならないし、そのバランスは少しでも崩れれば恐怖感を損なってしまう。

さらにいえば、ここで語られる説明にもウソはほとんどないというのも大きな罠だ。けっきょく、祖父母は最大のウソ以外は彼らに自然に接していたことになる。

この観客の生理的な恐怖を絶妙につつくような演出こそ、監督の手腕であろう。


また、ホラー映画ではキャラクターの描写が浅くなりがちという弱点があるが、本作では驚くほど精緻な人物描写が光っている。

姉弟はある目的のために祖父母にインタビューし、自分たちが抱えているコンプレックスにも向き合おうとしている。序盤の描写で手際よく彼らに愛着を持たせ、ストーリーが進行するに従ってさらに彼らの内面に潜っていく。

また、直接は物語に関わらない母親も物語の背景として非常に有効で、登場人物たちのこれまでの人生、そしてこれからの人生にも思いを馳せるニクい構成だ。

ジャンル作品としてだけでなく、緻密な物語も味わうことができる。

最後まで観れば、作中の謎はすべて明かされる。一般的には、ミステリー部分が説き明かされるとホラーとしての怖さは減ってしまうものだが、本作に限ってはそうではない。真相が分かってから思い返してみれば、祖父母の行動のひとつひとつがなおさら恐ろしいものに思えてくる。こんな見事な構成は滅多に見られまい。まさに芸術だ。

ちなみに、ある場面で「ヤッツィー」というダイスゲームが登場する。サイコロでポーカーのように役を揃えていくゲームだが、駆け引きの要素がほとんどなく、対話することに意味がないゲームである、ということを付け加えておく。


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